2015年度 第4回勉強会


 6月26日、日吉キャンパスにて「ヒトゲノムの解読と人間の理解」というテーマのもと、遺伝子操作により操作された近未来を描く映画『ガタカ』を鑑賞し、リフレクションに向けた班会議を行いました。

遺伝子操作によって起こりうる差別


 『ガタカ』が描くのは、遺伝子操作が当たり前となった世界です。主人公のヴィンセントは、心臓疾患になる可能性が99%であり、余命が30歳との診断を下された「不適正者」として生まれました。また、弟は、遺伝子操作により、生まれながらにして優れた知性と能力を持って生まれました。ヴィンセントは、自分の「不適正者」としての将来に限界を感じながらも、「適正者」のみがなれる宇宙飛行士を夢見ます。そして、夢を諦めきれないヴィンセントは、優秀な遺伝子を持ちながらも、下半身不随になってしまった若者ジェロームと契約をかわし、血液の提供を受けることで、見事宇宙飛行士に選ばれます。

 この作品では、遺伝子操作によって全ての人間が「適正者」「不適正者」に分類され、新たなる時代の差別が起こりうる可能性を描いています。遺伝子操作によって生まれた「適正者」社会は、遺伝子の優劣によって社会的な地位も淘汰される社会の到来を意味することを、私たちに暗示しているのかもしれません。

テクノロジーの幻影による可能性という制約や挫折


 遺伝子操作が実現された『ガタカ』の世界では、将来の可能性や能力が、生まれながらにしての遺伝形質や性質によってのみ規定され、人々はその決まった枠の中でしか生きることができません。すなわち、情熱や努力などの精神的なものによって開かれる人間の可能性は、否定されてしまいます。ヴィンセントは宇宙飛行士の夢を抱きますが、遺伝的理由から家族の反対に直面します。一方、ジェロームは競泳界でNo.1が約束されるような超エリートでしたが、その潜在能力は彼自身のプレッシャーとなってしまいました。遺伝子解析の結果に裏付けられたプライドとは裏腹に、No.1に届かない自身の弱さや不遇さが彼に自殺未遂という悲劇をもたらすことになります。本編では、遺伝的事実と心の底で生じる可能性への期待の間で生じる齟齬が、葛藤となって描かれています。

所感


 母体血を利用した胎児の遺伝学的検査、新出生前遺伝子診断が日本で始まってから、まもなく2年が経ちます。検査開始の1年後には新出生前診断を受けた妊婦のうちの1.8%が陽性確定と判断され、そのうち97%に当たる110人が人工妊娠中絶を選びました。この一連の流れで、命の選択をどのように捉えたら良いのかが課題となっています。

 鑑賞した『ガタカ』の描く近未来は、そう遠くない我々の将来を映しているのかもしれません。そこで、私たちは遺伝子解析、遺伝子操作という高度な技術が、社会にどのような変容を起こすのかを今一度考える必要性があります。遺伝子操作が可能となった世界が、遺伝子によって人々を選別し得る社会を導く恐れがあることを心に留めておかなければなりません。そして、遺伝子解析や遺伝子操作の技術を前にして、自分自身が技術の利用の選択を迫られたときに、自分の判断は何によって決められ、どうすれば後悔しない判断ができるのかを考え、自分の人生の選択に向き合う必要性があると感じました。

 

 次回のリフレクションではディベートを行います。設定としては「婚姻関係を結ぼうとしている相手が「早期アルツハイマー型認知症」の危険因子の遺伝子を保有していると判明したとき、結婚するのか、しないのか」です。次回は、そのようなテーマのもと、遺伝子による情報を知るのか、それとも知らないままでいるのかという己の中での葛藤や狭間、そしてその情報を知った際に自分が後悔しない選択を下すためには、どのようにするべきなのかについて深く考えていきます。

 

文責 小池愛